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執筆者の写真明橋文学

一人じゃなくなること(零人)

更新日:2023年9月3日

気がつけば四月になってしまった。もう半ばまで来ている。


ご無沙汰しております。

明橋零人です。明橋文学はこのごろ鳴りを潜めているので死んだんじゃないかと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、生きてます。

明橋文学、という団体においてちょっと動きが出てきたので、それを僕なりに振り返ろうと思います。

 
明橋文学は何から生まれたのか


そもそも明橋文学は何から生まれたのか、というと、「僕が僕なりに生きるために生み出した生存手段」でした。生来一人という概念に怯え、一人であるという自覚の元に生きてきた僕は、一人でも生きていけるように自分のための空間を作ることにしました。言葉を変えると宗教、となると思います(ただこれは僕が生きるために必要な信条なだけなのでそんなに大それたものではない、という注釈をつけます)


つまり明橋文学は僕一人で完結するものだった


でも一昨年の「ヨウセイ」、去年の「夢途切相駆彼岸(LDL)」を通して、僕は人を信じるということをやっとできるようになった。

「ヨウセイ」で人として生きることの意味を、「夢途切」で周りの人がどれだけ信じてくれているのかを知った。そのときの僕はあんまりにも人間不信で、自分を名乗ったところでみんなわかってくれないと思ったから語ることをやめました。だから言葉を使わない振付ばかりやってたんですね。大和のやつも一時期舞監やった後はずっとHPとか作ってましたね。


※一度だけ「命騙りて糸縢り」という作品で作者を名乗ったのですが、そのあとどうせ僕の言うことなんてわからないと思って名前を名乗れなくなりました。ようやっと名乗れるようになりました


今年に入ってから、ひょんなことで(僕がちょっとジェラシーを感じて)翠くんに「明橋文学名乗らないの」と言うと、彼は冷静な面持ちで「客演だっただけの俺だけど、名乗っていいなら名乗るよ」と返され、なんだか嘘みたいなフランクさで明橋文学は一人じゃなくなりました。

※高月大和は距離感的に他人じゃないので基本カウントしません。否が応でも一緒にいる存在なので


僕の隣ですごく人が増えている団体がいたんです。その団体の筆頭の子がすごく愛されているのを見て、今までは気にしたことなんてなかったはずなのに、ふと僕だって仲間が欲しいと思いました。もう一人で頑張らなくたっていいんじゃないかってそのとき、今までの自分を許したくなったんです。


「永遠の孤独」というカルマと今

僕は明橋文学を書くために「永遠の孤独」であることを選んだ。今もそれは変わらない。僕は孤独だ。

でも、人といることで見える「希望」を知った今、一緒に希望を見てくれる人を信じるべきなんじゃないか。

そう思って僕は翠くんに明橋文学に入ってほしいという旨を、改めて伝えました。そして彼が入ったのが二月の事でした。


そのあとに入ったのが海青ちゃんです。海青ちゃんは僕と同じように人と会うことと書くことを無くして生きることが厳しい、ということをどこかで感じていたようで、翠くんに声を掛けられて「一緒に物を作っていくなら君たちのところかな」なんてはにかみながら入ってくれました。

今明橋文学は、四人の希望への執念で出来上がっています。


使徒、にはなっていないけど時々明橋文学を思い返してくれるのが深紅と青雅で。彼らがその名を名乗ってくれる限り僕のことを忘れない、という担保にもなっている。とりわけ深紅は僕の意思を強く引いてくれた。いつか僕が僕として語った言葉を誰かに託したくなったとき、きっとそれは深紅に語らせることになる、と思っています。




 


明橋文学は、僕一人の物だけじゃなくなった。僕と同じように希望を語ろうとしてくれる人たちが集まる場所になった。こんなの、永遠の孤独を名乗り始めたときにはまったく考えていなかった。


僕が孤独であるということは今も変わっていません。ですが、その孤独に寄り添ってくれる人たちがいて、僕のことを忘れないでいようとしてくれる人がいる今、孤独であっても1人ではない。

僕たちが、希望を語る明橋文学の使徒です。


決して僕たちは夜明けを諦めない。語りうるものは、希望。


明橋零人

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