top of page
執筆者の写真明橋文学

七夕と希望に関する一つの考察(翠)

更新日:2023年9月3日


どうもみなさまこんにちは。

3ヶ月ぶりくらいでしょうか。

明橋文学のグリーン担当、時谷翠です。


ついに長かった梅雨も明け、夏が本番を迎えようとしております。

夏が蒸し暑いのは、天気が良くて、みんなが洗濯物を干すからだと、とある詩には書かれています。自分の知らない多くの人の存在を感じる事の出来る、優しい詩ですね。


明澄である過去と不透明の現在  ――テーマ『七夕』

さて、今回は「七夕」をテーマにお話をさせていただこうかと考えております。

とはいえ、今年は私自身が就職活動と大学の試験でバタバタとして、夜家に帰ってから「あぁ、今日が七夕だったのか」となんの風情も感じることなく終えてしまいました。ので、今回は明橋文学の「希望」と絡めてお話させていただきます。


七夕にまつわる昔話についてはいうまでもないでしょうが、ざっくりと...。


織姫と彦星は互いに深く愛し合っており、頻繁に逢瀬を交わしていたため、各々の仕事をおろそかにしてしまいました。

それに怒った神は二人の間に大きな川を作り、懸命に働けば年に一度(7月7日)に会うことを許す事としました。

それから二人は年に一度会える日のため、懸命に仕事をするようになりました。


というようなお話ですね。


本当にすごいと思います。

いくら深く愛し合っているとはいえ、年に一度しか会えないというのに、そのために懸命に働く二人。

俗っぽく言うと、普通では考えられない燃費の良さだなと感服します。


この二人を懸命に働かせたものは正に「お互いに会える」という希望であり、希望さえあれば人は努力ができるという教訓を我々に与えているように感じます。もしこの物語が、神にこの先一生会えぬようにされていたら、どちらかは命を立っていたかもしれませんし、「いつでも会って良いが、仕事をおろそかにすれば一生会えなくする」という約束をしていたら、慣れてきた頃に二人はまた仕事をおそろそかにし、一生会うことができなくなっていたかもしれません。その先にはモチベーションの上がらぬ日々が続き、生産効率はさらに落ちていたことでしょう。(そういう話ではないでしょうが...)

その意味では、「懸命に働けば年に一度だけ会える」という仕組みは二人に希望を与え、二人は自ずから働くようになった、非常に合理的な仕組みだと、神の手腕を褒めざるを得ません。


しかし、この織姫彦星を超える素晴らしい存在がいます。

現実を生きる人々です。


我々現実の人間と前述の二人との大きな違いは、確約されていないもののため、懸命に何かに取り組んでいることです。

勉強、スポーツ、芸術活動、音楽活動、仕事、etc...。もしかしたら目標を達成できないかもしれない、成果を得られないかもしれないという成功を約束されない未来に対し、達成するという思いを持って何かをされている我々にはきっと大きな希望があるのでしょう。ある人は現状から既に、自身の信念とは裏腹な評価、レッテルを受け、その払拭・挽回のために、ある人は今受けている評価、実績よりもさらに高みを目指して努力しているわけです。逆に、今ある大切なもの、人、ことを維持したくて、守りたくて努力をしている方もいると思います。今ある希望を守るために。

とても素晴らしいことだと思います。


その希望こそ、我々明橋文学が語りうる希望であり、大切にしたいものです。

時谷翠は、明橋文学において、そういう人々の希望を語っていけるような、表現できるようなこと、ひいてはそう行った方々の応援をさせていただきたいなと、僭越ながら考えております。

これから長い休みにも入ります故、そういうものを書けたら良いななんて思ってます。


これから暑い日が続いていくと思います。

皆様におかれましても、体調管理にお気をつけ頂き、実りある夏をお過ごしになれるよう、お祈り申し上げます。


それではまた。

時谷翠

閲覧数:37回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page